帰れ、ソレントへ   阿部ひとみ
せせらぎ通りという
あれっ?と思うような通りを通って
Y中に行きました
体育館はすぐに鍵がかけられ
途中で帰られる方は校舎の方からお帰り下さい
と、教師が言いました
これから音楽鑑賞会が始まるのです

第一部が終わると
 ここで十五分ほど休憩を取ります
と、教師が言いました
生徒たちがガタゴト、ガヤガヤ動き出しました
わたしは上司に
 先に帰ります
と、言いました

スリッパを戻していると
 ここは鍵をかけたので校舎の方からお帰り下さい
と、さっきの教師がまた言いました
外靴を手に持っていったん二階へ上がり
校舎の方の廊下に出ました
 
廊下をつま先立ちで
抜き足差し足みたいに歩いていると
ひとりの男子生徒が侵入者だと囃し立てながら付いて来ます
(こいつ退屈してんな 音楽を聴いたところで
この有り余るエネルギーを始末することはできない)
光る瞳です
飛び跳ねるみたいな歩き方です
どこのひと?
と、言ったので
わたしは無言で自分のネームプレートを指差しました
(わたしからは面白いことは何も出ないよ
君が楽しいと思うことは何も持っていないんだから)
わたしは廊下を急ぎました

昇降口の階段に
別の男子生徒がひとり頭を抱えて座っています
もう何時間も
君がそこに座っています
斜めから白濁した光が射し
光のなかを塵が舞い
塵がその白いシャツの背中にも降っています
教師が来てその子をそこから連れ出そうとするのですが
深く深く頭を抱え頑としてそこを動きません
(根くらべだな) 
わたしは静かに外へ出ました

太陽の光にくらりときました
君の白いシャツと光る瞳が視界をちらつきます
 (ついて来るな なついてくるな)
 あーあ上靴のまま
と言うと
 いいのいいの
と、言います
 靴ひもちゃんと結んだら、引っかかって転ぶよ
と言うと
 いいのいいの
飛び跳ねるみたいな歩き方です
君は勝手にしゃべります
 きのうの夜
かあちゃんと妹と三人でとうちゃんの女のところに行った
 とうちゃんを返してくれって言いに行った
 その女すんげぇブスのおばさんだった
わたしは思いっきり吹き出します
そしてすぐに笑ったことを謝ります
 いいよ べつに
君も、苦く笑います
うっすら口ひげが生えています
 とうちゃんそのうちに帰ってくるよ
わたしは根拠のないことを口にします
君はもう背中です

校門のところでわたしは腕で大きく×を作って
 ここまで
と、言いました
ちょうど教師が
校舎の入り口で君の名前を呼びながらおいでおいでをしています
さっきの、絶望と根くらべをしていた教師です
わたしはぺこりと頭を下げました
教師もぺこりと頭を下げました
きっとこの子は
時々こうして上靴のまま校舎を抜け出してくる常習犯なのです
また来る?
君は言いました
もう来ないと思う
わたしは言いました
校庭を君が全速力で走って行きます
体育館が夏の午後の陽射しを受けて校庭に等身大の影を作っています
せせらぎ通りを急ぎました