2026.08.01

何を考え、日々生きているのだろうか。何も考えないことはけっしてないのだが、翌る日にこうやって日記を書いていると、わたしは何も考えずに1日を過ごしているのだなと思ってしまう。いや、差し迫った目の前のことや、やらなければいけない家族の用事など、次の段取りとか考えることは常に行なっていることで、そういうことではない。荒唐無稽なことである。差し当たり、わたしの生活向上のためにはなんお役にも立たないことである。精神的な蛇足である。積み重ねた思考といったものである必要はない。ただ単に、無駄なことを愉快に考えるそういう精神的な蛇足である。今朝もマルと散歩。家の門を少し出たところで引き返す。彼は彼なりに元気だ。
午前、書斎で詩誌 回生の糸綴じ作業。午前で4冊ほど終える。残り6冊か。午後、なんとか残り6冊の糸綴じを終える。達成感がある。今回は、柔らかい和紙に油分が多いインクを使い、文字が滲んだり、かすれたりして、印字が汚い。それに余白はズレ、行頭が揃わない。正直、失敗だと思う。けれど、それでいい。それしかできないのだから。それでいい。無理はしない。高望みはしない。頭の中に完成形はあるけれど、まだ完成形をめざそうという気持ちはあるけれど、わたしが持っている機材や資材でどこまでできるのかは、かなり時間がかかると思う。夕方、急に思い立ち、再度、8ポイントの「0」で作った組版の修正作業。なんどか修正し、その度に印刷を行い、なんとか形になってきたが、組版を広げるのに三号活字の込物を使ったら、「0」が六号活字だったらしく、六号は得てして8ポイントと微妙に大きさが違うので、組版が崩れやすくなってしまった。というか、明らかに崩れる。なんとか修正するも、印刷のたびに活字が飛び出す。でも、なんとかまおまけのポストカードを30枚印刷する。
夕、マルと散歩。散歩とは言えない距離だが、マルは楽しみにしている。
ふとしたことで、本棚にしまっていた徐京植『詩の力』という本に目が止まる。金子さんも詩の感想を書き始め、〈詩の力〉という言葉を盛んに感想文の中で使っている。この本は、金子さんからいただいたもの、金子さんも詩の核心を成す思考が徐京植の語るものの中にあるとは思っていたが、これまで読んでこなかった。今、無性に読みたくなった。最後のあとがきで、徐京植は「詩の力とは詩的想像力だ」と書いている。
