小関俊夫『百姓の日常』

 宮城の古川三本木で農に生きる小関さんの9冊目の詩集です。発行は金港堂、印刷は笹気出版印刷、発行年月日は2026年6月30日です。金港堂は数少ない昔からの地元の本屋さん、笹気出版印刷はチベット語の文献を母型から起こし、金属活字で印刷製本した歴史持つ地元の印刷会社です。宮城に太い根を張る印刷出版業の老舗が小関さんの詩集づくりのお手伝いをしました。

小関さんは、2011年に最初の詩集を出してから、15年の間に詩集を9冊も発行しています。猛烈な速度で言葉を紡いでいます。そして、この詩集には129篇もの詩が収められているのです。とにかく、とどまることなく詩がつぎつぎと生まれています(素敵な絵も一緒です。)。

ページめくり、たくさんの詩を読んでいると、詩は生み出すものではなく、生まれるものでもなく、こぼれ落ちるものと言いたい気持ちになります。種がこぼれ落ちるように、なにものかが小関さんを揺すぶって、種を大地に蒔いているようです。

これまでの詩集の表題を眺めていると、ある変化を感じます。小関さんは、東日本大震災により発生した福島第一原子力発電所の放射能事故から世間に物言いをたくて詩を書き始めました。

第一詩集 稲穂と戦場

第二詩集 村とムラ

第三詩集 農で原発を止める

第四詩集 農から謝罪

第五詩集 飼料米と青大将

第六詩集 虫のために大豆を作っている

第七詩集 もったいない農夫

第八詩集 ラムの足音

第九詩集 百姓の日常

 「戦場」「ムラ」「原発」「謝罪」「飼料米」といった社会や経済を相手にした言葉が最初の頃の詩集の題名にはみられます。それが、第五詩集からは自分の足元を見つめた言葉が詩の題名になっています。小関さんの詩集の題名には、そのときの小関さんの心情が込められているように感じるのです。近年では、小関さんが生活の中で大切にしている宝物が詩集の題名になっています。

 

 

   蟻に

     

     ただ

     夕空を

     ながめている

    

     ピンク色の

     夕空に

     思いを

     はせる

 

     一匹の蟻に

     なっていた

 

     石ころを

     よけながら

     歩む

 

     一匹の蟻に

     なっっていた

               詩「蟻に」全文

 

 

 この詩集の中で一番好きな詩です。日常の煩わしいものを洗い落とし、生まれたばかりの気持ちに戻ったかのような人間の眼差しです。この眼差しが向かう先には、草花や虫や獣たちが大勢で暮らしている自然があり、そこで農を行うことの性(さが)を言葉にして紡いでいる。そんなふうに感じます。

 

 

   百姓の詩

 

     一匹の虫を

     救うために

     詩をかく

 

     かきつづける

 

     稲をくう

     イネミズゾウムシを

     指で

     殺生しながらも

 

     一本の草を

     救うために

     詩をかく

 

     かきつづける

 

     稲にはびこる

     キカシグサを

     手で

     殺生しながらも

               詩「百姓の詩」全文

 

 自然の中で農を行うには、生きている草花や虫たちのいのちを抜き取り、つぶす。そのいのちをもらって稲を育てる。そのことに思いを馳せる。農薬を撒き散らし草花や虫のいのちを殺す産業としての今の農業への強い憤りがこの詩の言葉の奥にはあるのだろうと思いますが、そのこと(=今の世界に対する警告)を書こうとはしないのです。そして、その怒りを心の奥に置いて、詩の力に小関さんは託します。

 

 

   選挙

 

     経済だけで

     地球が見えない

     選挙だった

 

     片田舎の片田舎の

     隅の隅の隅で

     ひっそり

     呼吸しよう

 

     草と虫と

     ものずきに

     よってくる

     生き物たちと

     みんなで

     ひっそり

     呼吸しよう

               詩「選挙」全文

 

 

 わたしが初めて小関さんの詩を読んだのは、8冊目の詩集『もったいない農夫』(2023年、無明舎出版)でした。この詩集『もったいない農夫』に収められた詩の言葉に真っ先にわたしが感じたことは。やけにつっけんどんな言葉だということでした。世に対して物申したいと紡ぎ始めた詩の言葉ですから、自分の詩を読む者は、物申したい相手ということなのかもしれません。そのどこかよそよそしい態度の言葉がこの詩集では消えています。諦めなのでしょうか。それとも、それよりも大切なことを見つけたからでしょうか。とにかく、この最新詩集『百姓の日常』では、言葉がやさしく語り始めています。

 最後に、この詩集の中で一番考えさせられた詩「出稼と冬眠」を紹介します。 

 

 

   百姓は冬眠だ 

   雪がとけて春がくれば起きればいい

   梅もほころんだら

   稲の種籾の温湯消毒から農事始まりだ

   その前に味噌づくりがあるか

   百姓はしあわせ者だ

 

   

   雪国の親父は出稼しながら田をつくった

   冷害つづきで小娘も売った

   頭をさげない稲を手刈りした

   苦しくても農業にはげんだ

   雪国の田は生きているだろうか

   風土は生きているだろうか

               詩「出稼と冬眠」第3連及び第4連

 

 

 この詩は、『雪国の詩 ―土に生きる仲間たち』(1979年、秋田文化出版社)を読んで書かれたものです。第一連では、「農民の歴史は冬にあった」と言葉を発しています。小関さんは、「百姓は冬眠だ」と言いながら、問いを発しています。その問いは、冬には出稼ぎをしなければならない雪国の百姓ことを思って発せられています。「田は生きているだろうか/風土は生きているだろうか」という言葉は切実です。田を生かすのも、風土を生かすのも、農に生きる人がいて初めて成り立つことだからだと思います。ここには、冬に出稼ぎをせざるを得ない世間に対する、社会に対する怒りが根底にはあります。そして、百姓はしあわせ者だと言いながら、どこか寂しそうな佇まいがそこにはあるような気がするのです。これはわたしだけが感じているのかもしれませんが、自分だけがしあわせ者だと言いながら、それで満足していいのだろうかという自問自答の問いに聞こえてきます。

 最後に『雪国の詩 ―土に生きる仲間たち』から佐藤悦子さんの「出かせぎ」という詩を引用させていただき、終わります。

 

 

 

     出かせぎ

 

  出かせぎは

  大きな力を持っている。

  その力は

  父をかっさらっていくことだ

  出かせぎは

  家庭の一つの火をけしてしまう

  そんな出かせぎを

  ぎたぎたにし ふみつぶしてやりたい

  出かせぎは

  家庭にすっぽりかぶさっている

 

  今はどうすることもできない

  しかし いつかは

  出かせぎに大きなかざあなをあけてみせる

                 詩「出かせぎ」 佐藤悦子(小五)