日記

2026.10.16

 言葉では表現できない得体の知れないという他ない、けれど得体の知れないわけではない感情がいる。複雑と言っていいのかも知れないが、それはただわたしが知らない、いや認めたくない感情なのかもしれない。何もやる気が起きない、だけれどやらなきゃいけないことがある、それが差し迫っている。自らが選択したものではないその出来事は、いまあたかも自らが選択したようなものになっている。どうしてこんなことになってしまったのだろうか。その一方で、煩わしい人間関係が先が見えないほど向こうまで横たわっている。景色が変わるまで何もしないでいようと思う。

 今日から、雑事のある日以外は、1日ひとつきのカレンダーの印刷をやり切ろうと予定を立てた。今日は3月。位置合わせと、マスキングを丁寧にやれば、あとは問題なく印刷ができるとこれまでの2月の印刷から得た自信を余裕に変えて印刷できればと思っているが、印刷自体は全くの自動ではないので、わたし自身が体を動かさないと先に進まない。淡々と作業をすると、うっかりミスが生じる。かといって、淡々とやらないと、途中でつまらなくなる。つまらないとか楽しいということは余計なことではあるが、わたしの場合、それがあってやる気が生じるので、とても大事なことである。それ(楽しさ)がないと、苦しさになり、体がはち切れそうになる。そうなるとやっつけ仕事になる。多分、まじめなわたしの性格からしてどちらにしても結果は同じなのだと思う。そこが人間の不思議な所以である。そして、もっと不思議なことに、被る精神的な苦痛も同じである。遠回りをしようが、近い道を歩こうが、同じである。じゃあ、近道をすればいいかというと、近道はつまらないとやりもしないのに思ってしまう。遠回りをすれば、途中で起きる諸々の予期せぬことが多くなる。多くなれば、その分大変である。・・・てなこことを考えもしないで、淡々と印刷作業を始める。組版に収めたメタルベースの位置は毎月で動かない。しかし、凸版は位置をその都度変えなければいけない。そこに貼る凸版の位置が版の大きさや版に収められた文字群の縦と横の長さで貼る位置が変わる。そのためには、前月の位置を抽出し、前月の文字群の縦横の長さとの比較をして、毎月で印象がさほど変わらない用紙の位置を考えなければならない。ここでは最終的には感である。ミリ単位で単純な数値を割り出しても、そうはならない。とかなんとか考えながら、わたしが思うベストな位置を考えだし、メタルベースに貼る位置を鉛筆で印をつける。そして凸版の裏に最初マスキングテープを貼る。次にマスキングテープの上に両面テープを貼る。この二度手間は凸版を剥がす時に有効になると勝手に思っている。両面テープの粘着力よりもマスキングテープの粘着力の方が弱いと考え、凸版(亜鉛版)がわはマスキングテープの弱い粘着力で押さえている。結果、1月、2月で凸版をメタルベースから剥がした際、どうだったかと言えば、あまり実感がない。実感がないとは、簡単には剥がせないということでした。次に、メタルベースの印の位置に凸版を貼る。そしてテキンにインクを乗せる。載せたインクは、工房を始めた時から使っている墨のインク。これは結構硬さがあり、気持ち的にインクの粘着力が強くなっており、色乗りがよいとみた。わたしがみただけなので、本当はどうかわからない。で、一度コピー用紙に印刷を行い、印圧が均等であるか確認する。それから、マスキングの作成にかかる。このテキンは、胴張にフェルトを使っている。なので紙が沈む。亜鉛版1ミリの凸版は紙が沈むために、沈むと言ってもわずかであるが、本来は印刷されてはだめなただの窪んだ面に付着したインクまで紙についてしまう。そもそも、テキンのローラーの高さがおかしいのだと思うが、とにかくローラーが凸版にインクを乗せる際に、余計な窪んでいる平面にまでインクが乗ってしまう。これについては、一度、ローラーが上下に動くレールの上にマスキングテープなどを貼り、高さを調整しようとしたが、あまり効果がなかった(と勝手に思ている)。だから仕方がないので、平面のインクが紙に付着しないように、余計な部分は紙を印刷の部分だけ切り抜きそれをテキンの左右にあるストッパーに貼っている。2ミリ程度の余裕があれば、余計なインクは付着しない。その作業を終え、印刷開始。柔らかい和紙とベタの面積が多い書の凸版の組み合わせは、相当にインクを消費する。なので、10枚刷ったら、インクの追加で乗せるということをしている。その10枚を数えるのがなかなか、難しい。レバーを上下させローラーでインクを凸版位乗せる。この作業を3回繰り返し、4回目に紙に凸版を押し当てて印刷をする。その際の数字の数え方は、レバーを動かす回数を数えることと、用紙が今何枚目であるかということを数えることと、別々に違う目的に数字を数えることになる。「いち、にい、さん、がっちゃん」である。それを、例えば4枚目の印刷とすると、「いちさん、にいさん、さんさん、よん〜がっちゃん。」と数える。印刷を済ました用紙の枚数が「さん」であり、それをしっかりと忘れないように言葉で唱えるために、レバーを上下させる回数の後に続けて唱える。しかし、どうもこの唱え方はなかなか慣れない。結局、枚数は唱えずに暗黙に記憶させ、レバーの回数だけ唱える。そして、がっちゃんの時に「よん〜!」宣言する。それがいいかなと思ったりした。と、そんなこんなで、淡々と印刷をしていたら、つい見当針にきちんと用紙を載せることを行なった印刷が生じた。がっちゃんとしようとした瞬間に用紙が斜めであることに気づいた。これでは印字が斜めになる。そこで、途中でレバーを止め、紙を正しい位置に置き直した。しかし、版の先の部分の文字にすでにインクが付着していたために、ブレた印字が生まれてしまった。これはいかんと思い、気合を入れて印刷を続けるも、やがて淡々となり、また同じ過ちをしでかしてしまう。60枚印刷をしていううち、10枚は自分のものなので、これはしょうがない、自分お文にすればいいなと思い、動揺をおさえた。しかし、枚数を合わせるために、予備の用紙に最後に印刷をしたのだが、その予備の用紙はヤケが入っていない真っ白に近い紙で、印刷をすると版の文字の上の方にわずかなインクの付着が見られた。どうしてか、マスキングからはみ出たかと思ったが、予備の枚数もすくないので、そのままでカレンダーの書の印刷を終えた。午後、日付の印刷。これは、日付の並びの位置が少し変わるだけで、組版は変わらないために、決まった位置に合わせて素早く淡々と印刷をすればよく、数枚印刷をしていたら、あることに気づいた。ほとんどの用紙に、午前の最後に印刷をしたインクの付着が見られたのだった。はて?これは失敗だ。印刷で一番やってはいけないことは、余計なインクの付着である。そうならないためには、常に道具や資材、そしてわたし自身が身につけている衣服や表に出ている手足などの体を綺麗に保つことなのだが、それ以外にも色々と気を遣わなければいけないことがある。予期せぬ理由からインクが付着することもあるので、気が許せない。この失敗の原因は、位置を間違えた用紙2枚の印刷の時に、マスキングをした紙の裏にインクがついていれ、それを取り除かずに印刷を続けたことによると判断した。それ以外、考えられない。果たしてどうだろか。動揺したせいだろう、1枚、書の上に日付を印刷してしまう。気を取り直して日付の印刷を終える。その間、母のリハビリの方がみえられる。その対応をしてから、今度はA5カードの印刷。これは順調に終える。

 夕、むしゃくしゃするので、気持ちを切り替えるために、コンビニに行く。ナナチキを買ってきてと頼まれたので、ファミマに行き、ナナチキありますかと尋ねると、愛想の良い店員の方が、ナナチキはセブンイレブンですと教えてくれる。結局、いろいろあって、わたしはのセブンイレブンの駐車場でファミチキを食べていた。そしたら、小関さんから電話があり、わたしが出した米のお礼状の葉書の礼とのこと。礼にコメをいただき、その礼に礼状を出し、その礼に礼の電話をいただく。とにかく、そのはがきはイサムノグチのドローイングだったらしい。とても気に入っていただいたようだ。ささむずびの話を少しする。小関さん、やっと今年の米の収穫が終わったとのこと。