日記

2026.10.20

 外と内、そととうち、 その境目がわからない。自由と拘束、じゆうとこうそく、その境目がわからない。知っているのは、わたしという意識があること。その意識すら、あることがおぼつかないのだが、ないと言ってしまえばこの文章はなにが書かせているのかということになる。だかrあ、とりあえず「意識」と言っておこうと思う。そもそも境目などない。あるのは、そういうふうにに後から思っているということだけである。そのとき、それが外であるか、内であるか、そんなことわからない。そのとき、いまが自由であるか、いまが拘束されているのか、そんなことわからない。わかることができない。状態をあらかじめ予測しただろうが、そのとおりになるとはかぎらない。かなり怪しい。わたしはなにを言いたいのだろうか。安定しているということはどういうことだろう。生活の安定、精神の安定、気持ちの安定、体の安定。

 午前、人間ドッグ。毎回、バリウムを飲むよりも内視鏡を入れた方がが正確で楽だという思いで申し込むが、いざ検査になると辛い。苦しい思いを極まってしてしまう。昨日の医者はちょっと乱暴だったような気がする。こちらが苦しんで思わず舌で胃カメラのケーブルを押さえたら、押さえないでくださいと言う。緊張して硬くなっていたら、力を入れないでと言う、「大丈夫ですよ」「あと少しですよ」といった緊張を和らげるような言葉は一度も吐かなかった。病院内の食堂で渡された食券を使って定食を食べる。それから来栖珈琲に寄って、深煎りのコーヒーをテイクあるとし、家に帰る。午後、浮さんの演奏会チケットの組版。2ポイント厚のインテルを6ポイント19文字の長さに18枚切る。本当は16枚で良かったらしい。それに同じ長さで1ポイントのインテルを4枚。それを昨日途中まで組んでいた組版の行間に入れる。終わって、ジャッキで軽く締めて持ち上げたら綺麗に浮かんだ。よし、校正を一度しておこうと思い、どうやって印刷をするか考えた。F-PRESSでゲラ機の気分で校正をしようと思いつき、煙突窓に立てかけていた機械を机に置き、やにわに印刷する。まあまあの出来、「記念」の「記」が横になっていた。6ポと小さな活字なので印刷をしてみないとわからないこともあると思う。

 夕、散歩せず。

 母、訪看の看護師さんがきてくれる。