2026.02.20

古本屋を営んできて人の回顧録のようなものを夢中で読んでいる。もう亡くなった方の思い出話が多い。それを語る主もすでに物故者の一覧に入っている場合も少なくない。先日、ピーター・バラカンのラジオを聴いていたら、リスナーからの便りに「死んだ人の曲ばかり聴いていて気分が暗くならないかと諭された」というものがあった。ちょうどそのときにわたしも、もうこの世にいない人の話ばかりを面白く読んでいた最中で、しかしどうしてこうも死んだ人の話ばかりが語られるのだろうと考えていたりもしていた。バラカンさんは、僕はそうは思わないと明確にそのリスナーの便りの中の意見を否定をしていたが、わたしの場合はどうだろうかと自問した。結論みたいなものは、古本屋の主人は、みな一冊々々の本に愛着を注いでいるということに尽きるのだろうと思った。造本は、著者の思いや佇まいが染み渡っている。その一冊に執念を燃やし、手に入れ、そして手離す。その間のさまざまな思いが、一冊の本の来歴や姿を浮かび上がらせる。そういう本はいいなとつくずく思う。本は中身だけではないということだ。今日も土手をマルと散歩。マルとの貴重な残り時間を慈しむように過ごす。
双紙の製作。庄司さんの五行歌。昨日作った組版が急造なので位置合わせに難儀するも、3枚ほど刷って(3枚をダメにして)、やっと納得のゆく文字位置となる。昨日注文した活字が早くも届いているので、9ポイントの文章を印刷に入る。植字と組版はできているので、足りなかった活字「環境」の「環」の活字を下駄を履かせた活字と取り替える。用紙の表、柔らかい面への印刷なので楽勝かと思いきや、印圧の調整が必要となる。それも叶い、いざ印刷を始めるも、6枚印刷を始めたところで、待てよと考える。この9ポイントの文章は、初めの文が6ページに入る。なので次のページが7ページとなる。4枚を二つ折りにして面裏それぞれ4ページの全部で16ページなのだが、6ページと7ページは同じ紙への印刷とはらなない。それなのに、わたしは同じ用紙の右に6ページ目、左に7ページ目を印刷している。そんなはずはないのだ。ここで立ち止まる。やはりきちんとページの並びを確認する作業をしなかったからこうなるのだ。再び失敗。6枚を無駄にしてしまう。気を取り直して(そんん直ぐに気は取り直せない)、正しい用紙への印刷を始める。午後、用事で隣町へ。思いの外用事が早く終わったので、次の五行歌の印刷に入る。午前は3ページだったので、同じ奇数ページの5ページ目を印刷する。これだと組版の向きを変えなくて良い。順調に終える。
夕、マルと散歩。土手を歩く。白鳥がいなくなっている。
夕食前、近くマーブルというセレクトショップに行き、22日の本沢三丁目パン販売の予約をする。
